<不動産における持続可能性>
・他の工業国とは比較しえないスピードで人口減少局面に突入した日本で、不動産に期待される持続可能性とは
■持続可能でない日本の不動産
資産とはいったい何でしょうか? 国語辞典を引く限り、それは個人・法人が所有する財産の総称だと定義されます。また、財産とは経済的な価値のあるものの総称ですが、資産とは資本として利用されるもののことを指すようです。そうした物的財産の中でも土地や建物などの定着物、物権に対して、不動産という用語が用いられています。
当然、資本であったり、財産であったりする不動産には、おのずとその用語上の定義からは、経済的価値が将来的に維持されたり、あるいはそれを元手に経済的な価値を増加させる期待が含まれています。しかし、最近の日本における不動産は、一部の大都市圏を除き、一般的にはそのような定義とはかけ離れて運用されているのが実情ではないでしょうか。
通常、国民(個人、法人)の財産を守ることは、生命や人権を守ることと同じように国が権力を行使して行うべき物事であり、日本の憲法でも13条の幸福追求権の保障と29条1項の財産権の侵害阻止によって保障されています。それゆえ、リターンを求めるためリスクを承知で行う投資行為にまでは保証の手が伸びないとしても、ほとんどリターンを期待しないリスクの低い経済的価値の取引において、国はある一定程度の保障を準備しています(預金保険制度など)。
しかし、現在では多くの地域において人口減少が急速にはじまり、需要と供給のバランスが崩壊し、総体として(リターンや運用を期待していないでも)所持しているだけで経済的価値がぐんぐん低下しているのが日本の多くの不動産です。本来は国は自らの権力を行使してでも、(将来予測を含めた)需要に応じた供給量を調整し、国民の財産を守られなければならないはずです。しかし、日本では国や公共が様々な制度の実行によって、より供給量を増加させる(財産の経済的な価値を減少させる)ことばかりが推進されています。
ドイツの都市計画制度を知ることになった私にとっては、日本で行われている不動産、とりわけ住宅を取りまくその有様は非常に奇妙なことであり、本来、(国による個人・法人の財産の毀損行為に対して)反対運動が起こったり、国に対して集団訴訟が乱発しても不思議ではないように感じます。しかし、「不動産の価値が減少してゆく」ことに対して、多くの日本の方々は、当然のこととして受け止めているようです。
■持続可能性とは?
持続可能性とは、1713年のドイツ/ザクセンにおいて、ハンス・カール・フォン・カルロヴィッツによってはじめて書物に収められた概念です。彼はフライベルク鉱山採掘の監督官庁の長官として任務にあたるとともに、鉱山経営によって大量消費する木材需要圧力(坑道の資材として、とりわけ鉱石を加工するために消費される燃料として)によって、周囲の森が荒廃してゆくことに問題意識を持ちました。周辺の森林が荒廃してゆくと、かさばり、重い木材をより遠くから集めなければならなくなり、鉱山の経営状況が年々悪化してゆきます。
それゆえ、フォン・カルロヴィッツは、①森林を切ったら、植生・育成し、②育成して成長する分だけ伐採することを許す、というルールを体系化し、それを持続可能性(独語:Nachhaltigkeit)と定義しました。ここで使われた最初の持続可能性には、『将来世代
の(経済的な安定性の)ために蓄えを保ち続ける』という文脈で使用されました。19世紀にそうした(将来世代のための)持続可能な林業という定義が書物とともに英語圏に移入されると、その際に、翻訳者は「構造物を梁などで支え続ける」という文脈で使用されていたサステイン(英語:Sustain)を充て、持続可能性という言葉はサスティナブル(Sustain+able)という用語に置き換えられています。
しかし、そもそものこの言語は、自身だけが富をむさぼるのではなく、子どもたちの世代に蓄えを保ち続けるという文脈で、つまり将来世代に対する愛情から生み出された言葉です。
不動産という用語自体が、将来に一定の収益を期待する事柄を含んでいると冒頭で述べましたが、不動産こそ、持続可能な取り扱い、運用がなされることで、とりわけ子どもたちの世代に対する愛情から、その富を受け継いでゆくことができる状況を、日本においても現実のものとしなければならないのではないでしょうか?
■持続可能性を高めるために
その点で、日本のとりわけ住宅の現状は以下の国交省作成のグラフに表されるようにお寒い限りです。2011年の時点までという古い資料ですが、戦後に住宅に投資された累積投資額は850兆円を超えていますが、その資産としての価値は350兆円を下回り、約500兆円が煙として消えた、つまり毀損されたこととなります。50代以上で、二人以上の世帯の平均では、これまでに平均で約2,000万円程度が毀損されたという試算もあります。いくらデフレ、ゼロ/マイナス金利の世の中であっても、大量の世帯で2,000万円もの預金が軒並み消滅したら、通常は暴動が起こるでしょう。しかし、不動産の場合は、皆それが当たり前だと考えるような社会になってしまっています。
したがって、私は不動産、とりわけ住宅の価値が減少してゆく社会を、良い社会ではないと評価していますし、価値の減少に歯止めをかけ、不動産の持続可能性を高めることこそが、日本の経済分野における様々な対策の中で、もっとも重要度が高く、優先されるべき対策だとも考えています。
そのため、日本の不動産が持続可能に機能するために、つまり子どもたちの世代へ愛情を与えられるような正常化された世の中にな
ることを目的に、このコラムでは私の住む、不動産状況が正常(?)なドイツにおいての都市計画制度、不動産、建物にかかわる事柄を紹介してゆこうと考えています。また、持続可能性には、不動産だけではなく、人類の幸福の追求と社会の存続というテーマが含まれます。とりわけ日本ではSDGs(持続可能な開発目標)というのが、大きく注目されていますので、私の専門分野である気候変動対策、環境汚染の減少、社会福祉機能の強化などのテーマについても、不動産に関連する部分を紹介してゆきたいと思います。
図:住宅投資額と住宅資産額の推移、日本とアメリカとの対比
出典:国土交通省、中古住宅市場活性化ラウンドテーブル 平成25年度報告書